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第3回 「日本人は裁判嫌いか? -アメリカやフランスとの意識の違い- 」

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「裁判沙汰」という言葉があります。

「言いえて妙」と言いますか、この言葉には、「裁判などには係わりたくない」という一般の方の気持ちが如実に滲み出ています。お笑いのダチョウ倶楽部の一人が、いじめられると「訴えてやる」とギャグを飛ばしておりましたが、そう簡単に訴える人は少ないのが現状です。最近は、「行列のできる何とか」という番組が人気で、さまざまな法律問題をタレント化した弁護士が、ああでもないこうでもないと、おもしろおかしく解説してくれますし、弁護士を主人公にしたテレビドラマが目白押しなこともあって、法律や裁判といった問題について、昔よりははるかに身近に感じられるようになったと言えます。
けれども、一般の方には、法律などという何やら難しそうな理屈はわからないし、裁判所や法廷といった厳めしいような場所には馴染みがないし、第一、トラブルを抱えていても、どのくらいの費用がかかって、どのくらいの時間で解決するのか、さっぱり検討がつかないのですから。裁判を「飯の種」にしている私だって、できれば裁判などしたくありません。

普通の方の裁判のイメージと言えば、水戸黄門や遠山の欽さんのテレビなどで出てくる、いわゆる「お白州」の「頭が高い。控えおろーう」「ハハーツ」(汗!)のイメージでしょうか。お白州にあんな感じで土下座させられて、「越前屋。おぬし、いいかげんな戯言(ざれごと)を申すな。本当のことを言えばよし。これ以上しらを切るのであれば容赦はせぬぞ!」とか言って罪人扱いされれば、誰だっていい気はしませんよね。それに、何であんなにお奉行が威張ってるの?って感じですよね(因みに、江戸時代のお奉行は、今の裁判官とは違って、裁判官の役目の他に、検察官役や警察庁長官のような役目も負っており、更に、江戸という町の行政のトップ(今で言う知事)の役目も負っていたので、老中との会議に出たり、実際今より遥かに偉い(地位が高い)と言えばそうだったのですが)。

裁判嫌いになる原因は、我々弁護士にもあります。よく言われることは、「敷居が高い」。この言葉も「言いえて妙」です。要するに、弁護士など近所にいないし、都会の繁華街のビルにとっつきにくそうな看板を出してるだけで、一見さんなど入っていけそうな雰囲気がない。それに、相談したり頼んだりするのにいくらかかるか、全く見当がつかない。弁護士と言えば、難しい試験に受かったエリートで、法律のプロで、一般に馴染みのない六法全書が全て頭の中に入っていて、何か言ってもすぐ言い負かされて、怖〜い存在・・・。まあ、言ってみればマイナスイメージばかりで、これは、六法全書が全て頭の中に入っているという点を除いては全て当たっていますので、敷居が高いのも当然でしょう。ついでに言えば、我々弁護士は、昔「三百代言」(さんびゃくだいげん)と呼ばれていた時代があったそうです。これは、大きなことを言う(もっと言えば嘘八百を言う)信用できない人、といったイメージの言葉です。確かに、相手の弱点を見つけてそこを攻撃するのが弁護士の職業的本能ですし、自分の依頼者を守るために、時には三百代言の大風呂敷を広げる必要がある時もありますから、ある部分当たっているかもしれません。

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